所沢生活村の代表を務める比嘉は、とっても食いしん坊。安心して食べられる、おいしいものに目がありません。お味噌や梅干しや漬物を作ったり、割れてしまった卵でオムレツを焼いたりしては、「これ、食べてみて」とにっこり笑顔ですすめてくれます。そんな比嘉ですが、いつも社会の在り方について思索し、その思いを毎月の会報に「巻頭言」として綴っています。
毎日のご飯は、政治につながっている。
そのことに気付かせてくれる比嘉の文章を、ブログでもご紹介します。
2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、私の乏しい情報源からの日々の情報だけでも「戦争」を、感覚的に実感を伴う生まれて初めての経験としているように思う。既に3か月以上になるが、その間、3/10の東京大空襲、4/26のチェルノブイリ原発事故、5/15の沖縄本土復帰などの歴史的出来事のあった日付が連なりその都度各側面からの「戦争」を考えさせられる。また、つい1年前などのアフガニスタンをはじめ近年のシリア、イラク、アフリカなどへの強国による軍事侵攻ではなぜ今回ほど自分事として受け止められなかったのだろうかを問う日常を過ごしている。思い起こせば沖縄の人たちにとっては1879年の「琉球処分」当時の日本も今のロシアと同じだったことに気付く。「ウクライナのように攻め込まれたらどうする」と扇動し兵器と軍事同盟に日本国民を委ねようとする政府与党の動きの愚かさを、自国の加害の歴史に学ぶ。このような政府の暴走を止めるのが憲法9条で、戦後も今回も日本が戦争に参加拒否できる根拠となっていることを改めて深く認識する。(比嘉)